「悲しみの王子」や「怒りの王子」になったわけではありませんが、不思議な体験をした話。

 一昨日、昨日とにかけて起こった「最終的には自分に落ち度のあるミス」によって、本日はそれはそれは落ち込んでいました。とりあえずできることは「落ち度を認めて謝罪する」しかなかったのですが、なんというか「腑に落ちない」という気持ちを抱えた状態でした。その謝罪のタイミングは午後以降なので、それまでこの気持ちのまま過ごすことも苦痛かつその時が訪れるのも考えただけで吐き気を催しそうでした。
 そんな気持ちのままお昼が過ぎ、諦めの気持ちも出てきましたが、一方で「このまま謝罪しても、双方にとって良くない」と思い、「事実と今後の行動は変えられないけど、せめてそこに込める気持ちだけはどうにかしたい」という気持ちが芽生えました。
 そこで取った方法が、「なぜ、自分が”腑に落ちない”のだろう」ということへのアプローチでした。そんな中で出てきたことが、「どうやら自分の中に2人の自分がいるようで、一方の自分(大人の自分)は結果も謝罪も受け入れているが、もう一方の自分(子どもの自分)が駄々をこねている」という新興宗教真っ青(笑)の考えでした。そうして、その子どもの自分の思いを慌てずに問うていった先に「今、子どもの自分は悲しいんだ」ということが分かりました。その瞬間に大粒…、とはいきませんでしたが「どうやら自分は泣いたようだ」とわかる程度には目が潤み、鬱屈していた気持ちがパーっと晴れ渡ったように清々しい気分になりました。
 まぁ、そのあとは予定通り「謝罪→耳の痛いお言葉」の流れだったのですが、とても穏やかな気分で切り抜けることができました。

 書いていて「あ、Kurehaはヤバい宗教に入ったんだ」と自分でも思ってしまうような内容でしたが、最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m
 週末からは再び「対戦の仕方を見直してみよう」の続きを書きたいと思っていますので、よければ見に来てくださいね(^-^)

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