寄り添うだけが方法じゃない、かも
2017年8月27日 日常 詳細は省きますが、地元の学童の子どもと消防団のオッサンお兄さんの交流会(遊び相手をする会)がありました。
アクティブな方はわんぱく少年と野球などを、気の利く方は男女問わず関わっていき子どものやりたいことをやっておられました。
私はというと、運動は苦手でお世辞にも気が利くほうでもないので途方に暮れておりました。
せめて、何か作って子どもにプレゼントしようと思い、学童の教室に置いてあった段ボール等を使ってショベルカーを作ることにしました。
はじめは少し見て通り過ぎる程度でしたが、少し作品が形になってくると男の子が1人寄ってきて助手を名乗り出てき(外装のデザインをお願いしました)、全体像がおぼろげに見えてきた頃には「ここをこうしたほうがいい」的なアドバイスを言い出す女の子も現れ、完成した際には5人くらいの子どもとその喜びを分かち合いました(大げさかな?)。
「子どもと関わるには、その子どもに寄り添ってニーズを探る」ということが大事だと思っていましたが、こんな風に自分のやりたいことを前面に出して、そこに子どもを巻き込んでいくというスタイルも時には有効な手段なのだと思いました。
アクティブな方はわんぱく少年と野球などを、気の利く方は男女問わず関わっていき子どものやりたいことをやっておられました。
私はというと、運動は苦手でお世辞にも気が利くほうでもないので途方に暮れておりました。
せめて、何か作って子どもにプレゼントしようと思い、学童の教室に置いてあった段ボール等を使ってショベルカーを作ることにしました。
はじめは少し見て通り過ぎる程度でしたが、少し作品が形になってくると男の子が1人寄ってきて助手を名乗り出てき(外装のデザインをお願いしました)、全体像がおぼろげに見えてきた頃には「ここをこうしたほうがいい」的なアドバイスを言い出す女の子も現れ、完成した際には5人くらいの子どもとその喜びを分かち合いました(大げさかな?)。
「子どもと関わるには、その子どもに寄り添ってニーズを探る」ということが大事だと思っていましたが、こんな風に自分のやりたいことを前面に出して、そこに子どもを巻き込んでいくというスタイルも時には有効な手段なのだと思いました。
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